チョコレートドーナッツ(ネタバレ)
チョコレートドーナツ
原題:Any Day Now
2012/アメリカ 上映時間97分
監督・製作・脚本:トラビス・ファイン
製作:クリスティン・ホステッター・ファイン、チップ・ホーリハン、リアム・フィン
脚本:ジョージ・アーサー・ブルーム
撮影:レイチェル・モリソン
編集:トム・クロス
音楽:ジョーイ・ニューマン
音楽監修:PJ・ブルーム
出演:アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、アイザック・レイバ、フランシス・フィッシャー、グレッグ・ヘンリー、クリス・マルケイ、ドン・フランクリン、ケリー・ウィリアムズ、ジェイミー・アン・オールマン
パンフレット:★★★☆(700円/コラム3本はどれもタメになるし、楽曲リストも地味にありがたい)
(あらすじ)
1979年のカリフォルニア。歌手を夢見ながら、ショーパブでパフォーマーとして日銭を稼ぎ暮らすルディ(アラン・カミング)は、客として訪れた検事局のポール(ギャレット・ディラハント)と心を通わせ合い、交際を始める。そんな折、ルディはアパートの隣の部屋に住むダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)が、危険薬物を所持し逮捕された母親のために、施設へと隔離された事実を知る。繰り返されるマルコの脱走に心を痛めたルディは、ポールを説き伏せてマルコを引き取りともに暮らそうと提案する。同性愛の恋人同士であることを伏せ、法的手続きによりマルコの監護者となった二人は、本当の両親のようにマルコに愛情を注ぎ、三人で幸せな日々を送る。だが、周りの反応は冷淡であり、彼らをパーティに招いたポールの上司との衝突で事態は一気に悪化し、ふたりはマルコの養育者と認められず裁判沙汰となる。弁護士の奮闘もむなしく、ルディとポールはマルコとの関係を引き裂かれる。そしてふたたびの脱走を試みたマルコが放浪のあげく悲惨な運命をたどったことをルディは知る。歌手として認められたルディは、愛する者たちとのつながりを引き裂かれた怒りと悲しみとをマイクに叩きつけてゆく。(以上、Wikipediaより)
予告編はこんな感じ↓
80点
※この感想には、超痛い&グロい画像が貼られているので、そういうのが苦手な人は気をつけて!
※今回の感想は、かなり心が狭くて、本作が好きな人は不快になる怖れがあるので、読まない方が良いです。
※今回の感想は、「Farm House」や「ヒドゥン」などのネタバレに触れているので、気をつけて!
劇場で観た旧作の感想はあまりアップしない方針なんですけど、いろいろと書きたいことがあったので、適当に更新しておきますね。2014年に劇場で上映されていたころに良さげな評判は聞いていたものの、基本的には“カンフーの達人とムエタイ使いを相手に三つ揃えのスーツを着た男が「サッポーロン!(`Д´)(`Д´)ノヽ(`Д´)」と拳をぶつけ合うようなアクション映画”を好むブログ主ですよ。アッサリとスルーして、仕事や子育てや自慰行為に精を出していたんですけれども(1つアウトな文章)。先月、感想を書くために「ショコラ 君がいて、僕がいる」をもう一度観ておきたくて、鵠沼海岸の”美味しいパンが食べられる映画館”シネコヤに足を運んだ際、本作が「『違う』ということ」というテーマで同時上映されていたので、ついでに鑑賞いたしました。「二つ我にあり… (´・ω・`) ウーン」と思ったり。
「ショコラ」鑑賞→パンなどを食べる→本作鑑賞という流れ。席はほぼ埋まってました。
まぁ、あらすじに関してはWikipediaを読んでいただくとして、鑑賞直後は「感動した!ヽ(TДT)ノ」のひと言でしたよ。ルディ役のアラン・カミングが素敵すぎるし、その恋人ポールを演じたギャレット・ディラハントも良かったし、何よりもマルコを演じたダウン症の役者アイザック・レイヴァが素晴らしくてね…(しみじみ)。「子どもにとって大事なのは“血縁”ではなく”愛情”」というのは、僕のベストムービーの1本である「隣る人」と共通するテーマであり、鑑賞中はマルコが可哀相すぎて涙が止まらなかったです… (iДi) ウェェェェェ
あーだこーだあって、一緒に暮らすことになった3人。優しい理解者もいるものの、世間の風当たりは厳しく…。
あーだこーだあって、ヤク中の母親がマルコの親権を取り戻す→放置→マルコは死亡するのです。
最後は歌手になったアランが「I Shall Be Released」を歌って終わるのでした… (iДi) ウェェェェェ
つーか、日本に比べたらアメリカはまだゲイに対してリベラルなムードがありそうですけど、1979年と言えばハーヴェイ・ミルクが射殺された翌年ということで、まだまだ偏見がモリモリの厳しい時代なワケで(パンフの村尾泰郎さんのコラムによると、ゲイというだけで逮捕されたそうな)。そりゃあ、世間的に「ゲイのカップルが少年を育てる」なんてハードルは高かったのかもしれませんが、しかし。「マルコがヤク中の母親の元へ→母親はまた薬物に手を出して男とセックス→マルコは街を3日間さまよう→野垂れ死に ('A`)」というラストはあんまりすぎであり、あのヤク中の母親にそのクソ弁護士、そして検事局のクズ上司がのうのうと生きたまま終わるなんて、まったく留飲が下がらない!ヽ(`Д´)ノ ということで、今回は「それでも夜は明ける」以来の留飲ダウンシステム(RDS)を発動させたのでした↓
<1人目:マルコの母親・マリアンナ>
母親役はジェイミー・アン・オールマンという女優さん。
マルコと暮らしていたシングルマザーのマリアンナには、何か事情があったのでしょう。子どもを放置して違法薬物&セックスに耽るのも、貧困の中で辛い現実から逃げたいがゆえと思えば、まだ同情の余地がなくはない。だがしかし、ルディ&ポールという素晴らしい「隣る人」が現れたのに、「母親ヅラしてマルコを奪う→即放置」ってのは、最低最悪であり、この女は死をもって償うべき。検索してみたら「Farm House」というホラー映画でハードに拷問されていたので、その愉快な様子をGIFにしてみたぜッ!(`∀´) ザマァ!
「チーズおろしでヒザ小僧を削られる」というイヤすぎる拷問を受けて絶叫!
「ホラーSHOX [呪] 」さんの記事によると、「Farm House」では保険金のために子殺しをしたそうで、事故死したり、悪魔に嫌がらせをされたりするそうな。
<2人目:マリアンナの弁護士・ランバート>
グレッグ・ヘンリーが演じております。
ルディ&ポールと対立するのは、彼の仕事なのだから、まぁ、仕方ない。そのことを憎んでは弁護士という職業が成り立たないものね…と思いつつも! コイツの顔にはゲイへの偏見がアリアリアリアリアリーヴェデルチであり、自分にも子どもがいるくせにマルコに対して1ミリも親身にならない姿勢にムカついて仕方ないので、ジェームズ・ガン監督の傑作グロホラー「スリザー」にて、虫けらのように射殺される場面をGIFにしてお届けいたします (o^-')b オトドケ!
まぁ、「スリザー」では、死ぬことで救われてるんですけどね。
<3人目:ポールの元上司/州検察官・ウィルソン>
演じたのはクリス・マルケイ。ああん、この場面の憎さ、無限大!ヽ(`Д´)ノ キィィィィ!
序盤から部下のポールがゲイかどうか怪しんでいて、なかなかイラッとさせられるキャラクターなんですが、コイツへのムカつきが沸騰するのはクライマックス。ルディとポールは優秀な弁護士ロニー(ドン・フランクリン)を雇って、再審で勝てるムード満点だったのに、ウィルソンの妨害工作によって、母親が出所→2人はマルコの親権を奪われるワケですよ。その動機は「単なる意地悪」以外の何物でもなく、上に貼った「指バーン」場面を観た瞬間、あまりの怒りに血液が沸騰して脳がグツグツと煮込まれてしまい、一時は九九が言えなくなったほど。マジで本作のクズ・オブ・ザ・クズであり、ラスト、アランが歌う中で反省ヅラを見せるけどさ、もう“しっかりと大人”なんだし、「やっていいこととわるいことの区別はつくはずだな!(`Δ´)」ということで、日曜洋画劇場あたりで腐るほど観た気がする「ヒドゥン」で景気よく銃撃されるシーンをGIFにしてみたYO!ヘ(゚∀゚*)ノ ホエホエ!
こんな反省した風のオーラを漂わせても、時すでに遅し。
警官隊が銃撃→爆破で再起不能(リタイヤ)だ〜(JOJO第三部風に)。
まぁ、その後はこんな感じになるんですけどね。気になる人は「ヒドゥン」をチェック!m9`Д´) ビシッ
さて、驚くほど偏差値が低い方法で溜飲を下げたところで(苦笑)、本作のベースとなった実話はどんな内容だったのかが気になって検索してみれば、元になった話では少年が死んでいないみたいだからビックリ!Σ(゚д゚) ナンデスト! 事の真偽を確かめるべく、仕方なくパンフをネットで購入→監督インタビューを読んでみれば、「ジョージ・アーサー・ブルーム(※脚本家)はブルックリンのアトランティック大通りに住んでいて、近所に住んでいたルディって立派なやつのことを知っていたんだ。ルディが住んでいたアパートに、精神的にも肉体的にもひどい障がいを持った子どもがいて、その子の母親は薬物依存症だった。ルディは何度かその子と過ごすことがあった。ジョージはこのふたりの関係にインスパイアされて、養子縁組についてのフィクションを書いたんだ」ってことだそうで。
ついネットでパンフを買ってしまいましたが…。
どうせならシネコヤで買ってあげれば良かったなぁ。
なんて言うんですかね、「実話から生まれた」のはウソじゃないし、実際にダウン症の少年が街をさまよった挙げ句に野垂れ死んでいないことは喜ばしいし、1979年が舞台ならゲイのカップルが子どもを引き取ろうとしても、こんな悲劇的なオチになる可能性は高いと思いますけど…(要は、差別自体は「あった」のだから)。なんか“ほぼフィクション”と知っちゃうと、意地悪な登場人物たちやマルコが死ぬバッドエンドがスゲー取って付けたように思えてきちゃったりしつつ、「で、でも、素晴らしい映画じゃないか!(`Δ´;)」と擁護したい僕もいたりして。「二つ我にあり… (´・ω・`) ウーン」という複雑な心境に陥った次第。
ということで、僕の心境を代弁する「本部以蔵と宮本武蔵の試合を観ていた武道家たち」を貼っておきますね。
つーか、面白いなぁと思ったのは、シネコヤで本作と同時上映だった「ショコラ 君がいて、僕がいる」の方も「実話をベースにしつつもフィクション要素が強い映画だった」ということ。この2本立てのテーマ「『違う』ということ」は人種や性的指向を指しているのかと思っていましたが、もしかすると「映画と現実が違う」という意味でもあったのか…ってのは深読みですかね (´∀`;) エヘヘ まぁ、何はともあれ、鑑賞直後のテンションよりは若干トーンダウンしちゃったけど(苦笑)、観といて良かったです (・∀・) ヨカッタ! 興味がある人なら、観て損はしないんじゃないかしらん。あと、感想の中で引き合いに出した「隣る人」ですが、権利の関係上、DVDになることはないんですけど、公式HPには自主上映会情報が載っていて、例えば東京だと9月23日(土)に上映会&トークセッションがあったりするので、こちらもぜひ!m9`Д´) ビシッ
本作の国内盤サントラ。輸入盤やデジタル盤
もあります。
なんとなく思い出したハーヴェイ・ミルクの伝記映画。いろいろと勉強になりましたよ。
パンフで河原晶子さんが書かれていましたが、僕もルディはこの映画のダスティン・ホフマンっぽいと思いました。
ただ、監督的はルディは、この映画のダスティン・ホフマンをイメージしたとか (゚⊿゚) ヘー
シネコヤにて、本作と合わせて紹介していた本。読めば良かったなー。
2017/08/01 23:05 | 映画(2017) | TRACKBACK(0) TOP
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