娘は戦場で生まれた(ネタバレ)
鑑賞後の僕の気持ちを代弁する本部以蔵を貼っておきますね(「グラップラー刃牙」より)。
内容をザッと書いておくと、時は2012年、「アラブの春」に触発されて民主化を求める平和的なデモは、政府側に暴力的に鎮圧されていくも、ジャーナリストに憧れる学生ワアドはスマホで撮影するエブリデイ。2015年になると、ロシアが軍事介入してきて、状況はさらに悪化しましてね。そんな中、医師を目指す若者ハムザと出会い、夫婦となった2人の間に娘が生まれたので、平和への願いをこめて「サマ」(「空」という意味)と命名するも、内戦は激化する一方で、彼女たちが住むアレッポも空爆されまくり。最終的にはハムザの病院も爆撃されてしまい、2016年12月にアレッポは陥落。家族で街から這々の体で脱出して、映画は終わってましたよ。
最後は、少し成長したサマが映って終わってましたよね、確か。
まぁ、予想通りではありつつも想像以上にヘビーというか。ジャーナリストの視点からの「ラッカは静かに虐殺されている」、ホワイトヘルメットの立場からの「アレッポ 最後の男たち」とはまた違って、「母」「家族」「医療従事者」という目線で撮影されている感があって(まぁ、ワアドは母であり、ジャーナリストでもあるんですけどね)。「ロシアの容赦ない空爆」に「次々と死んでいく市井の人々」と、スクリーンに映し出される事象は相変わらず凄惨ながらも、「家族の絆」や「守られる命」なども見せられる分、ちょっと希望が持てる感もあったという不思議。
一番そう感じさせられたのは「呼吸をしていない赤子が息を吹き返すシーン」で、正直、僕はもう死んじゃったと思っていただけに、観るのがスゲー辛かったんですが、赤子が生を取り戻した時は、本当に感動した。もちろん無理なケースも多々あるとは思いますけど(汗)、あれほど絶望的に見える時でも何とかなるんだと。最後の最後まで諦めなかったハムザはマジで尊敬したし(あんなシーンを撮りきったワアドもスゴい)、価値観がアップデートされたというか。あの場面だけでも、僕はこの作品を観た価値があったし、いい勉強をさせていただきました。
僕の気持ちを代弁する北辰会館の志門剛俊を貼っておきますね(「餓狼伝」より)。
とはいえ、同じ「子を持つ親」としては、非常に乗れないところもあって。僕はこんなリスキーな現実世界で子どもを育てるという行為を少し恐れている部分があって。率直に書くと、2011年3月11日の後だったら、子どもを作らなかったかもしれないと思うぐらいなんですよ。で、本作のワアドなんですが、一旦、家族でアレッポを離れることになるも、その後、迷いながらも子どもを連れて戻るんですね。要は「多くのアレッポの市民が危険にさらされている中、彼女たちが逃げれば『自分だけ助かればいい』という姿を子どもに見せてしまう」ということであり、劇中で自分の行動を「時間を巻き戻せても同じことをする」と語るワアドはほとばしるほど立派だとは思いますが…。
でも、それって無事だったから言えることであり、もし子どもが死んでたら? 死なないまでも子どもが何らかの障害を負っていたら? 理念よりも何よりも「子ども自身の安全」を優先すべきじゃないの? もちろん彼女自身も迷いながら選んだ行動と言動であり、決して責められないけど、ごめんなさい、それでも僕は結構イラッとしたというか、そんな話を美談にはしたくないと思った…ってのは、「どこか遠い国で起こった大惨事、TVで眺めてる幸せな午後三時」ってな暮らしを送っている日本人が偉そうに言えることでもないんですがー。
まぁ、僕なんぞはこう言われても仕方ない話ですな…(「範馬刃牙」より)。
って、浅薄な文句を付けちゃいましたが(汗)、とはいえ、彼らの行動の数々は「僕にはとてもムリだ (・ω・;)」と心底尊敬できたし、命がけで作っただけあって、とにかくスゴいドキュメンタリーだと思いましたよ(小並感)。非常に悲しいことに、世の中には「そうだ難民しよう」なんて浅薄で稚拙な「表現」をしちゃう愚かな人間もいるワケですが(偽装難民の問題はないワケじゃないけど、この手の人は実際の難民が困ることには考えが及ばない様子)、いろいろと視野が広がると思うのでね、多くの人に本作を観てほしいと思います。おしまい。
2020/06/21 23:20 | 映画(2020) | TRACKBACK(0) TOP
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